火難の首里城 大龍柱と琉球伝統文化の継承
烈火に包まれて焼失した建造物の首里城や彫刻の大龍柱には、琉球沖縄の思想が息づいている。その再建をめぐって首里城正殿の大龍柱の「向き」が論争となった。本書は琉球の歴史や伝統文化の継承の観点から大龍柱の向きを検証した。
A5判・並製 231ページ
ISBN978-4-7554-0348-4 C0021
火難の首里城 大龍柱と琉球伝統文化の継承
目 次
まえがき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・狩俣 恵一
一 琉球伝統文化の継承について
二 報告書〈暫定的な結論〉の文体と論理の破綻
三 碩学の沈黙と「琉球伝統文化継承論」の構想
Ⅰ 首里城大龍柱の主な論点
・・・・・・・・・・狩俣 恵一・西里 喜行・崎浜 靖・田場 裕規
一 はじめに
二 歴史学の視点から見た大龍柱の向き
三 大龍柱の向きについての新資料
四 琉球王府の主体的外交と龍文様
五 古絵図の解釈をめぐる基本的問題
六 〈相対向き説〉の主な問題点
七 大龍柱の正面向きと琉球の風水
八 ハの字型石階段への改変と大きな台石の設置
九 大龍柱を相対向きに変えた昭和の改修
十 NHKの「祈りの首里城」と大龍柱の相対向き
十一 「突撃! カネオくん」とメディアで報じられた首里城の復興
Ⅱ 伝統文化の継承と技能・・・・・・・・・・田場 裕規
一 はじめに
二 技能と技術
三 技術者の育成にかかわる動向
四 〈大龍柱問題〉の深層
Ⅲ 首里城正殿の大龍柱論争についての論評と問題提起 『冊封琉球全図』/ルヴェルトガ「写真」とその周辺
・・・・・・・・・・西里 喜行
一 はじめに
二 注目すべき二つの史資料の発掘・公開
三 『冊封琉球全図』(一七二〇年)と『中山伝信録』(一七二一年)
四 ルヴェルトガ撮影の首里城正殿「写真」とその周辺
五 伊從説への論評
六 おわりに
Ⅳ 大龍柱の形態について・・・・・・・・・・西村 貞雄
一 はじめに
二 遺物・残欠の見解(大龍柱二代目と称する残欠)
三 大龍柱の復元
四 寸法記の古絵図
五 欄干と一体化した龍柱
六 正殿︱正面階段の大龍柱と小龍柱
七 龍柱の特殊性
八 おわりに
Ⅴ 首里城及び大龍柱の形と心・・・・・・・・・・狩俣 恵一
一 絵図のヨミについて
1 はじめに 2 近世絵図の特徴 3 相対向き説のイベント会場絵図のヨミ
4 正面向き・外向きの一七一九年の大龍柱 5 近世絵図と近代絵画の相違
二 風水と首里城
1 はじめに 2 正殿の西向きと風水 3 正殿前御庭の浮道と風水
三 大龍柱の形状
1 はじめに 2 龍柱の形状 3 龍柱と欄干の連結
四 中国様式の欄干と琉球独自の大龍柱
1 はじめに 2 欄干と大龍柱 3 石階段欄干は〈境界の橋〉
五 ハの字型石階段と大きな台石を廻る論争
1 はじめに 2 西村氏の低い台石 3 安里氏の大龍柱の残欠の復元
六 一七二九年の首里城改修
1 はじめに 2 一七二九年の正殿改修 3 玉座の正中とハの字型石階段への改変
4 一七二九年の大きな台石の設置 5 大龍柱の正面向きと相対向きの根拠
七 首里城の二つの火の神
1 はじめに 2 火の神信仰と首里城 3 御内原の火の神と正殿二階の火の神
八 近代資料と大龍柱の正面向き
1 はじめに 2 後田多氏による置県後の大龍柱の向きと形状の変遷
3 大龍柱の向きの改変と沖縄神社拝殿図 4 昭和の改修における相対向きへの改変
Ⅵ ジュール・ルヴェルトガ「一八七七年の琉球諸島紀行」
・・・・・・・・・・ 訳・解題 熊谷 謙介
Ⅶ 首里城大龍柱の本来の向きと「寸法記」イラストの検討 相対説はなぜ根拠イラストを誤読したのか
・・・・・・・・・・後田多 敦
一 はじめに
二 「寸法記」の資料的価値と解読の前提
1 「寸法記」の資料的価値、そして対立点 2 建築差図と十八世紀の測量技術と図法
三 「寸法記」イラストを読む
1 「寸法記」イラストの概要と内容 2 「寸法記」イラストの内容とその意味
3 相対説の根拠イラストを読む
四 絵図と差図イラストの「読み方」
1 イラスト「浦添ようとれ」の位置づけ
2 「浦添ようとれ」に描かれた石獅子
五 おわりに
Ⅷ 改ざんされる琉球の歴史文化、そして空間 首里城大龍柱の向き問題から考える
・・・・・・・・・・後田多 敦
一 はじめに
二 「改変する主体とその主体側の説明
三 大龍柱の向き改変と技術検討委員会
四 新しい基準の「復元的整備」と首里城の復元
五 王城だった首里城
六 おわりに
あとがきに代えて 「琉球伝統文化継承論」の構想 ・・・・・・・・・・・狩俣 恵一
写真・図録等出典一覧 ・・・・・・・・・・・ 狩俣 恵一
大龍柱関係文献 ・・・・・・・・・・・・・・・・(西里 喜行・狩俣 恵一)
A5判・並製 231ページ
ISBN978-4-7554-0348-4 C0021
火難の首里城 大龍柱と琉球伝統文化の継承
目 次
まえがき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・狩俣 恵一
一 琉球伝統文化の継承について
二 報告書〈暫定的な結論〉の文体と論理の破綻
三 碩学の沈黙と「琉球伝統文化継承論」の構想
Ⅰ 首里城大龍柱の主な論点
・・・・・・・・・・狩俣 恵一・西里 喜行・崎浜 靖・田場 裕規
一 はじめに
二 歴史学の視点から見た大龍柱の向き
三 大龍柱の向きについての新資料
四 琉球王府の主体的外交と龍文様
五 古絵図の解釈をめぐる基本的問題
六 〈相対向き説〉の主な問題点
七 大龍柱の正面向きと琉球の風水
八 ハの字型石階段への改変と大きな台石の設置
九 大龍柱を相対向きに変えた昭和の改修
十 NHKの「祈りの首里城」と大龍柱の相対向き
十一 「突撃! カネオくん」とメディアで報じられた首里城の復興
Ⅱ 伝統文化の継承と技能・・・・・・・・・・田場 裕規
一 はじめに
二 技能と技術
三 技術者の育成にかかわる動向
四 〈大龍柱問題〉の深層
Ⅲ 首里城正殿の大龍柱論争についての論評と問題提起 『冊封琉球全図』/ルヴェルトガ「写真」とその周辺
・・・・・・・・・・西里 喜行
一 はじめに
二 注目すべき二つの史資料の発掘・公開
三 『冊封琉球全図』(一七二〇年)と『中山伝信録』(一七二一年)
四 ルヴェルトガ撮影の首里城正殿「写真」とその周辺
五 伊從説への論評
六 おわりに
Ⅳ 大龍柱の形態について・・・・・・・・・・西村 貞雄
一 はじめに
二 遺物・残欠の見解(大龍柱二代目と称する残欠)
三 大龍柱の復元
四 寸法記の古絵図
五 欄干と一体化した龍柱
六 正殿︱正面階段の大龍柱と小龍柱
七 龍柱の特殊性
八 おわりに
Ⅴ 首里城及び大龍柱の形と心・・・・・・・・・・狩俣 恵一
一 絵図のヨミについて
1 はじめに 2 近世絵図の特徴 3 相対向き説のイベント会場絵図のヨミ
4 正面向き・外向きの一七一九年の大龍柱 5 近世絵図と近代絵画の相違
二 風水と首里城
1 はじめに 2 正殿の西向きと風水 3 正殿前御庭の浮道と風水
三 大龍柱の形状
1 はじめに 2 龍柱の形状 3 龍柱と欄干の連結
四 中国様式の欄干と琉球独自の大龍柱
1 はじめに 2 欄干と大龍柱 3 石階段欄干は〈境界の橋〉
五 ハの字型石階段と大きな台石を廻る論争
1 はじめに 2 西村氏の低い台石 3 安里氏の大龍柱の残欠の復元
六 一七二九年の首里城改修
1 はじめに 2 一七二九年の正殿改修 3 玉座の正中とハの字型石階段への改変
4 一七二九年の大きな台石の設置 5 大龍柱の正面向きと相対向きの根拠
七 首里城の二つの火の神
1 はじめに 2 火の神信仰と首里城 3 御内原の火の神と正殿二階の火の神
八 近代資料と大龍柱の正面向き
1 はじめに 2 後田多氏による置県後の大龍柱の向きと形状の変遷
3 大龍柱の向きの改変と沖縄神社拝殿図 4 昭和の改修における相対向きへの改変
Ⅵ ジュール・ルヴェルトガ「一八七七年の琉球諸島紀行」
・・・・・・・・・・ 訳・解題 熊谷 謙介
Ⅶ 首里城大龍柱の本来の向きと「寸法記」イラストの検討 相対説はなぜ根拠イラストを誤読したのか
・・・・・・・・・・後田多 敦
一 はじめに
二 「寸法記」の資料的価値と解読の前提
1 「寸法記」の資料的価値、そして対立点 2 建築差図と十八世紀の測量技術と図法
三 「寸法記」イラストを読む
1 「寸法記」イラストの概要と内容 2 「寸法記」イラストの内容とその意味
3 相対説の根拠イラストを読む
四 絵図と差図イラストの「読み方」
1 イラスト「浦添ようとれ」の位置づけ
2 「浦添ようとれ」に描かれた石獅子
五 おわりに
Ⅷ 改ざんされる琉球の歴史文化、そして空間 首里城大龍柱の向き問題から考える
・・・・・・・・・・後田多 敦
一 はじめに
二 「改変する主体とその主体側の説明
三 大龍柱の向き改変と技術検討委員会
四 新しい基準の「復元的整備」と首里城の復元
五 王城だった首里城
六 おわりに
あとがきに代えて 「琉球伝統文化継承論」の構想 ・・・・・・・・・・・狩俣 恵一
写真・図録等出典一覧 ・・・・・・・・・・・ 狩俣 恵一
大龍柱関係文献 ・・・・・・・・・・・・・・・・(西里 喜行・狩俣 恵一)