教養小説の崩壊(池田浩士コレクション4)
池田浩士コレクション・第4巻(第4回配本)
教養小説はなぜ変身し再生し続けるのか。深化するファシズム状況の中で、『ジャン・クリストフ』、ドストエフスキー、カフカ、カミュ、島木健作、木々高太郎からドラキュラまでを読み解く。
『教養小説の崩壊』目次
序章 なぜ〈教養小説〉か? 6
1章 自己形成と共同体の夢―教養小説の人間像 15
1 教養小説としての『ジャン・クリストフ』 16
2 迷いつつも努めはげむもの 31
3 限界突破の試みのなかで 49
2章 市民社会の刻印をおびて―危機の表現としての教養小説 69
1 この希望までもが挫折しようとは…… 70
2 〈私〉の自立―世界の喪失 88
3 教養小説の自己意識 102
3章 われ行きて、わが魂を試みん―教養小説の書けぬ作家たち 121
1 〈迷える市民〉の系譜 122
2 最後の夢―自然と芸術 141
3 現実の流動化と形式の破砕―ジャン・パウルの世界から 158
終章 革命とファシズムのはざまで―転向形式としての教養小説 183
あとがき 206
+α
第二部 ドラキュラとその兄弟たち 209
ドイツ教養小説の限界性─二十世紀ドイツ文学史へのひとつのアプローチ 210
シラー・ドストイェフスキイ・ゼーガース 219
〈私とは何か〉をめぐって─真継伸彦批判 228
謎とその解明─『悪霊』の小説構造によせて 246
ベンヤミンとドストエーフスキー 272
小説様式の側面からみたカフカの表現 286
獄中転向から獄外転向へ─島木健作にみる一九三〇年代 301
良吉は境界をどう越えたか─『人生の阿呆』、最後の挑戦 340
『変身』断章 398
『罪と罰』の偶然性 411
『異邦人』の暴力 428
ドラキュラとその兄弟たち 437
コレクション版あとがき 457
教養小説はなぜ変身し再生し続けるのか。深化するファシズム状況の中で、『ジャン・クリストフ』、ドストエフスキー、カフカ、カミュ、島木健作、木々高太郎からドラキュラまでを読み解く。
『教養小説の崩壊』目次
序章 なぜ〈教養小説〉か? 6
1章 自己形成と共同体の夢―教養小説の人間像 15
1 教養小説としての『ジャン・クリストフ』 16
2 迷いつつも努めはげむもの 31
3 限界突破の試みのなかで 49
2章 市民社会の刻印をおびて―危機の表現としての教養小説 69
1 この希望までもが挫折しようとは…… 70
2 〈私〉の自立―世界の喪失 88
3 教養小説の自己意識 102
3章 われ行きて、わが魂を試みん―教養小説の書けぬ作家たち 121
1 〈迷える市民〉の系譜 122
2 最後の夢―自然と芸術 141
3 現実の流動化と形式の破砕―ジャン・パウルの世界から 158
終章 革命とファシズムのはざまで―転向形式としての教養小説 183
あとがき 206
+α
第二部 ドラキュラとその兄弟たち 209
ドイツ教養小説の限界性─二十世紀ドイツ文学史へのひとつのアプローチ 210
シラー・ドストイェフスキイ・ゼーガース 219
〈私とは何か〉をめぐって─真継伸彦批判 228
謎とその解明─『悪霊』の小説構造によせて 246
ベンヤミンとドストエーフスキー 272
小説様式の側面からみたカフカの表現 286
獄中転向から獄外転向へ─島木健作にみる一九三〇年代 301
良吉は境界をどう越えたか─『人生の阿呆』、最後の挑戦 340
『変身』断章 398
『罪と罰』の偶然性 411
『異邦人』の暴力 428
ドラキュラとその兄弟たち 437
コレクション版あとがき 457