書を捨て、まちに出た高校生たち うちなー世 ―復帰51年目の黙示録―
基地とそれに苦悩する沖縄の人々を記録した3万枚の写真。そこには高校生たちがいた。ひとりひとりの顔には怒りや悲しみ、憂いだけでなく、期待と夢と希望も刻まれていた。「ETV 特集」放送の“沖縄”吉岡攻ディレクターによる書籍化!
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書を捨て、まちに出た高校生たち うちなー世 ―復帰51年目の黙示録―
目次
□読者へのノート
第一章 「校庭写真」の真実
ものいわぬ一枚の写真/「これ、私に似ている」/校風だった公開討論会
第二章 驚愕の「B52墜落・爆発事故」
無残に散った「黒い怪鳥」/「あ、ついに〈死の灰〉が・・・」/疑心暗鬼の日々/「この現実が沖縄の現実」/屋良新主席の「予感」/「あれは交通事故のようなもの」/ 最初の沖縄〈懐柔策〉/レンズで捉えた高校生の「悲鳴」
第三章 秘密の会合
基地は隣り合わせ/殺害遺体の第二発見者/ある教師との「出会い」/生きた見本が沖縄にはある/突然の「通達」/写真「秘密の部屋」/写真の、永遠の真実/半世紀ぶりの再会/初めての告白
第四章 「人生」を決めた女子高生刺傷事件
あのときの音声が・・・/突きつけられた基地の「現実」/事件は人生の原点となった
第五章 書を捨て、まちに出よう
写真が語る「断絶」/職員会議メモに見る退学処分その後
第六章 沖縄が燃えた夜
毒ガスの怖さが目の表情に/「糸満を繰り返すな」/MPはピストルを上に向けた/黒煙、やがて真っ赤な火の粉が/カップルを見てアドレナリンが・・・/最初の炎上/申し出た威嚇発砲/「万余の市民が騒ぎ出した」/真ん中でひっくり返して燃やそう!/いかんなぁ、でも手を出す自分/『取材ノート』から/「罪悪感なんてないですよ!」/父が遺したテープ/逮捕しようものなら囲まれてた/それぞれの朝/『取材ノート』から/米軍報告書/米・日・琉の反応/四人は人身御供だった/「米国憲法で裁くべきだ」
第七章 行った、見た、そして知った「日本」
復帰直前、最後の集団就職船/五色のテープで埋まった那覇港/「金の卵」/転職、転職、そして帰郷/復帰して知った絶望と孤独/時代を映した寸劇/それは映し鏡だった
第八章 復帰の日とその深層
復帰の日から始まった「溝」/日本は選択のひとつだった/「秘密の部屋」の高校生たち/不安の中にも喜びも・・・/「本土一体化」に抗する人々/人は頼らず、毎日一首/「運動しかやらない」と父はいった/「ちるだい」の背後にあるもの/独白/「日本が見える」
第九章 三万枚の写真と「私の沖縄」
渡航証明書/危機一髪「フィルム没収」/初の選挙に燃える沖縄/基地の中に「沖縄」/太平洋の要石、沖縄/消えた墓石/野ざらしの骸/「R&R」/「基地街(きちがい)」/コザ暴動/毒ガス移送/初のゼネスト/初めての死者/フィルム押収事件/復帰の日
第十章 それぞれの「黙示録」
七三%と三二%/ウクライナ戦争勃発/耐えてきた「辛さ悲しみ」/「言葉」と「祖国」と/「どこに逃げるんですか?」/私は日本人ではない/無言の抵抗/等身大の沖縄を伝える/訃報/二五年ごとのターニングポイント/再びの、火だね
終章 読谷高校生の「五〇年後の沖縄」
変わってないことと変えたいこと/五〇年後の沖縄
□著者のノート
著者
吉岡 攻(よしおか こう)
TVドキュメンタリー・ディレクター。ジャーナリスト。1944年、長野県生まれ。68年、東京写真(現東京工芸)大学卒業。69年から72年まで写真家として沖縄に在住。この間71年、写真『沖縄69~70』で平凡社「太陽賞」準太陽賞を受賞。
81年から『11PM』『NNNドキュメント』『久米宏のTVスクランブル』(日本テレビ)『音楽の旅はるか』『そこが知りたい』(TBS)。85年~95年『ニュースステーション』(テレビ朝日)でディレクター。95年~2004年『報道特集』(TBS)でキャスター・ディレクター。現在はテレビ番組制作会社「オルタスジャパン」相談役・ディレクター・プロデューサー。
TVドキュメンタリーとしては、NHK「BS世界のドキュメンタリー」「ドキュメンタリーWAVE」「NHKスペシャル」「ETV特集」などでアメリカのテロとの戦争を扱った『出兵を拒否した者たち』『虐待と微笑』ほか、『アメリカ・破産都市は甦るか』『ブット暗殺の謎』『ダライ・ラマ亡命への21日間』『地中海・難民島』『沖縄が燃えた夜~コザ騒動50年~』『君が見つめたあの日のあとに~高校生の沖縄復帰50年~』などを、民放では沖縄を舞台にした『第7心理作戦部隊の宣撫工作』(琉球朝日放送)『甦る紅型』(WOWOW)『戦場写真が語る沖縄戦』(TBS特番)、ほかに『トランプ大統領誕生の衝撃』(日経CNBC)などを制作。
著書には写真集『沖縄69~70』『新・韓国事情』『新島・モアイの島』『写真と権力(共著)』『いくさ世・沖縄』『戦争の果て』『虐待と微笑』『21世紀の紛争全5巻(監修)』『沖縄を知る本』などがある。
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書を捨て、まちに出た高校生たち うちなー世 ―復帰51年目の黙示録―
目次
□読者へのノート
第一章 「校庭写真」の真実
ものいわぬ一枚の写真/「これ、私に似ている」/校風だった公開討論会
第二章 驚愕の「B52墜落・爆発事故」
無残に散った「黒い怪鳥」/「あ、ついに〈死の灰〉が・・・」/疑心暗鬼の日々/「この現実が沖縄の現実」/屋良新主席の「予感」/「あれは交通事故のようなもの」/ 最初の沖縄〈懐柔策〉/レンズで捉えた高校生の「悲鳴」
第三章 秘密の会合
基地は隣り合わせ/殺害遺体の第二発見者/ある教師との「出会い」/生きた見本が沖縄にはある/突然の「通達」/写真「秘密の部屋」/写真の、永遠の真実/半世紀ぶりの再会/初めての告白
第四章 「人生」を決めた女子高生刺傷事件
あのときの音声が・・・/突きつけられた基地の「現実」/事件は人生の原点となった
第五章 書を捨て、まちに出よう
写真が語る「断絶」/職員会議メモに見る退学処分その後
第六章 沖縄が燃えた夜
毒ガスの怖さが目の表情に/「糸満を繰り返すな」/MPはピストルを上に向けた/黒煙、やがて真っ赤な火の粉が/カップルを見てアドレナリンが・・・/最初の炎上/申し出た威嚇発砲/「万余の市民が騒ぎ出した」/真ん中でひっくり返して燃やそう!/いかんなぁ、でも手を出す自分/『取材ノート』から/「罪悪感なんてないですよ!」/父が遺したテープ/逮捕しようものなら囲まれてた/それぞれの朝/『取材ノート』から/米軍報告書/米・日・琉の反応/四人は人身御供だった/「米国憲法で裁くべきだ」
第七章 行った、見た、そして知った「日本」
復帰直前、最後の集団就職船/五色のテープで埋まった那覇港/「金の卵」/転職、転職、そして帰郷/復帰して知った絶望と孤独/時代を映した寸劇/それは映し鏡だった
第八章 復帰の日とその深層
復帰の日から始まった「溝」/日本は選択のひとつだった/「秘密の部屋」の高校生たち/不安の中にも喜びも・・・/「本土一体化」に抗する人々/人は頼らず、毎日一首/「運動しかやらない」と父はいった/「ちるだい」の背後にあるもの/独白/「日本が見える」
第九章 三万枚の写真と「私の沖縄」
渡航証明書/危機一髪「フィルム没収」/初の選挙に燃える沖縄/基地の中に「沖縄」/太平洋の要石、沖縄/消えた墓石/野ざらしの骸/「R&R」/「基地街(きちがい)」/コザ暴動/毒ガス移送/初のゼネスト/初めての死者/フィルム押収事件/復帰の日
第十章 それぞれの「黙示録」
七三%と三二%/ウクライナ戦争勃発/耐えてきた「辛さ悲しみ」/「言葉」と「祖国」と/「どこに逃げるんですか?」/私は日本人ではない/無言の抵抗/等身大の沖縄を伝える/訃報/二五年ごとのターニングポイント/再びの、火だね
終章 読谷高校生の「五〇年後の沖縄」
変わってないことと変えたいこと/五〇年後の沖縄
□著者のノート
著者
吉岡 攻(よしおか こう)
TVドキュメンタリー・ディレクター。ジャーナリスト。1944年、長野県生まれ。68年、東京写真(現東京工芸)大学卒業。69年から72年まで写真家として沖縄に在住。この間71年、写真『沖縄69~70』で平凡社「太陽賞」準太陽賞を受賞。
81年から『11PM』『NNNドキュメント』『久米宏のTVスクランブル』(日本テレビ)『音楽の旅はるか』『そこが知りたい』(TBS)。85年~95年『ニュースステーション』(テレビ朝日)でディレクター。95年~2004年『報道特集』(TBS)でキャスター・ディレクター。現在はテレビ番組制作会社「オルタスジャパン」相談役・ディレクター・プロデューサー。
TVドキュメンタリーとしては、NHK「BS世界のドキュメンタリー」「ドキュメンタリーWAVE」「NHKスペシャル」「ETV特集」などでアメリカのテロとの戦争を扱った『出兵を拒否した者たち』『虐待と微笑』ほか、『アメリカ・破産都市は甦るか』『ブット暗殺の謎』『ダライ・ラマ亡命への21日間』『地中海・難民島』『沖縄が燃えた夜~コザ騒動50年~』『君が見つめたあの日のあとに~高校生の沖縄復帰50年~』などを、民放では沖縄を舞台にした『第7心理作戦部隊の宣撫工作』(琉球朝日放送)『甦る紅型』(WOWOW)『戦場写真が語る沖縄戦』(TBS特番)、ほかに『トランプ大統領誕生の衝撃』(日経CNBC)などを制作。
著書には写真集『沖縄69~70』『新・韓国事情』『新島・モアイの島』『写真と権力(共著)』『いくさ世・沖縄』『戦争の果て』『虐待と微笑』『21世紀の紛争全5巻(監修)』『沖縄を知る本』などがある。