記憶のキャッチボール 子育て・介助・仕事をめぐって
共通点、女で子持ち。違いは、身体に「障害」のあるなし--揺り起こされる子育ての記憶。同居人や介助者との一筋縄ではいかない関係。それぞれの場の日常から見える社会のありよう、産む/産まない/産めない女を線引きするもの。細やかなやりとりで紡がれる往復書簡。
●はじめに───大橋由香子
●第1章──1997.11〜1998.6
──娘と私だけが取り残されてしまいそうな孤独感
「期待される生き方」が、障害者とそうでない者とで決定的に違う
「なんで私だけ?」
私一人のことだけでなく、赤ん坊の世話も入ってくる介助
介助を受ける側と提供する側の対等なコミュニケーションをどう確立するか
「あれ、夕飯のしたく、まだなの?」彼のこの一言で、私はプッツン切れました
「いまある関係」のなかで、自分でなんとかがんばろうとして
仕事を楽しくできるかどうかは、相手との関係次第です
要領よくテキパキとさりげなく人のために働き、よく気がつく……そういうことがあまり得意ではないのです
いっしょに子育てするには、それなりの条件が必要だった
「手を出し合ったり助け合ったり」という関係は双方向的なもの
●第2章──1999.1〜2002.10
──「みんなちがって、みんないい」という金子みすゞの言葉がぴったりの空間
性別役割分業のままでは、男たちは「世話する能力」を身につけられない
電動車椅子を走らせればいつでもこのまま一人で帰ることができる、という安心感
生きる領域を分けていては、「双方からわかりあう」ことはできない
ふたりで暮らし始めてから、初めての明白な「役割分担」に戸惑っていた
男親にとっても、子どもについておしゃべりするのは快感みたいです
「地域ボランティア活動」といえば聞こえはいいけれど
私の「権利」がもっとも保たれていないのが学校という場です
障害のある子とお友だちになれる機会があるといいね、そこからいろんなことがわかってくるよ
「父・母・子どもふたり」の標準家庭なんて、ほーんと、少ないんですよね
街で生きてきたふつうの人たちのように、「自分のものを自分で選んで買う」という経験がなかった
性別役割分業にもとづく家族単位の賃金体系は、税制度や年金と深く結びついています
母に反発して違う生き方をしているつもりだったけど、案外、変わらないのかもしれないな
●「迷惑」をおそれていたら私は自分を生きられない - きびしいまなざしを受け続けたくらしのなかで
(インタビューに答えて・青海恵子 まとめ・大橋由香子)
──歩けない私の人生を閉ざすもの
「え、あんたが子どもを産むのか」?
「他人」が入ってくるのはいいことばかりじゃないが……
auのコマーシャルに「なにっ!?」
軌道からちょっとはずれて見てみる
小さくならないための親のかかわりあい方
●第3章──2003.1〜2004.6
──「乳がんですね」「やっぱり」。
インフォームド・コンセントには、患者側の気力が必要
「子宮/乳房を取ったら女じゃなくなる」わけではありません
途切れることのない日常のありがたさ
乳房温存になぜ私はこだわらなかったのでしょう
診断・検査技術の「進歩」によって「胎児の状態・障害の有無」が入り込んできている現実
「産む選択」と「産まない選択」は等価ではない
「もっともっと女性障害者の地位向上を!」
「安心」できる子じゃないと産めない?
「仕事を続けても辞めても、子育てはしんどい」
ややこしいもの、めんどくさいものは、できるだけなくそう・排除しようという発想が強まっている
彼らの考える「個人主義」というのは、「利己主義」のことだったんですね
社会保障こそが、いちばんかんたんに削れるところ。そう考えているのが見え見えです
市場経済(職場)の論理に合わせて働こうとすると、からだや心をこわしてしまう
●エッセイ・大橋由香子 男の子育児はつらいよ
──ベツジン28号だったムスコ
症例別つきあいにくい人々
忘れられない衝突
筋肉にあこがれるころ
●第4章──2004.9〜2005.5
──アジア・アフリカの女性たちと、「障害を持つ女性の権利」についてセッションをしてきました
「恋愛」とは別物としてセックスを楽しむことを、どう考えたらいいんだろう?
「おせっかい」とも言える図々しい態度や雰囲気って、障害者運動に限らず七〇年代に存在していた
「車輪の一歩」。私にとって、とてもリアルなドラマでした
それぞれの両親の対応ぶりは、私の妊娠を機に逆転。いまから思えば、おもしろいな、と思います
彼氏/彼女がいることがマル、という雰囲気に乗り切れないというか、違和感を抱いていた私
映画や小説でも、SEXの実用書でも、コンドームやピルが出てこないことが多いのはなぜでしょう
ナンシー・メアーズの言葉を借りれば、「性の問題は語られるまえに閉ざされ」ているのです
おもしろい発見や、思いもかけなかった驚きが、「女」が決して単一ではないことを教えてくれる
「人権先進国」が「イラクの人々を解放する」ためにその地の人びとを殺してしまう
いちばん辛いのは、病気や障害によって自分が誰にも必要とされなくなる、と感じることかもしれません
「あなたって、ほんとに、すみません、が多いね」と言われたことがあります
●第5章──2005.9〜2005.12
──しっくりくる住まいを形づくるにはなかなか時間がかかります
これから重ねてゆく年月は、老いと死に向かう新たな段階に踏みこむ日々になるでしょう
若かろうが、歳を取ろうが、いつでも大事なのはきっと「友だち」です
怒って、笑って、毒がいっぱいだけどすてきな女たちを目の当たりにして、元気になった
産むこと、産まないこと、産めないこと、どれもがそれぞれの味わいをもっている
●あとがき──青海恵子
●はじめに───大橋由香子
●第1章──1997.11〜1998.6
──娘と私だけが取り残されてしまいそうな孤独感
「期待される生き方」が、障害者とそうでない者とで決定的に違う
「なんで私だけ?」
私一人のことだけでなく、赤ん坊の世話も入ってくる介助
介助を受ける側と提供する側の対等なコミュニケーションをどう確立するか
「あれ、夕飯のしたく、まだなの?」彼のこの一言で、私はプッツン切れました
「いまある関係」のなかで、自分でなんとかがんばろうとして
仕事を楽しくできるかどうかは、相手との関係次第です
要領よくテキパキとさりげなく人のために働き、よく気がつく……そういうことがあまり得意ではないのです
いっしょに子育てするには、それなりの条件が必要だった
「手を出し合ったり助け合ったり」という関係は双方向的なもの
●第2章──1999.1〜2002.10
──「みんなちがって、みんないい」という金子みすゞの言葉がぴったりの空間
性別役割分業のままでは、男たちは「世話する能力」を身につけられない
電動車椅子を走らせればいつでもこのまま一人で帰ることができる、という安心感
生きる領域を分けていては、「双方からわかりあう」ことはできない
ふたりで暮らし始めてから、初めての明白な「役割分担」に戸惑っていた
男親にとっても、子どもについておしゃべりするのは快感みたいです
「地域ボランティア活動」といえば聞こえはいいけれど
私の「権利」がもっとも保たれていないのが学校という場です
障害のある子とお友だちになれる機会があるといいね、そこからいろんなことがわかってくるよ
「父・母・子どもふたり」の標準家庭なんて、ほーんと、少ないんですよね
街で生きてきたふつうの人たちのように、「自分のものを自分で選んで買う」という経験がなかった
性別役割分業にもとづく家族単位の賃金体系は、税制度や年金と深く結びついています
母に反発して違う生き方をしているつもりだったけど、案外、変わらないのかもしれないな
●「迷惑」をおそれていたら私は自分を生きられない - きびしいまなざしを受け続けたくらしのなかで
(インタビューに答えて・青海恵子 まとめ・大橋由香子)
──歩けない私の人生を閉ざすもの
「え、あんたが子どもを産むのか」?
「他人」が入ってくるのはいいことばかりじゃないが……
auのコマーシャルに「なにっ!?」
軌道からちょっとはずれて見てみる
小さくならないための親のかかわりあい方
●第3章──2003.1〜2004.6
──「乳がんですね」「やっぱり」。
インフォームド・コンセントには、患者側の気力が必要
「子宮/乳房を取ったら女じゃなくなる」わけではありません
途切れることのない日常のありがたさ
乳房温存になぜ私はこだわらなかったのでしょう
診断・検査技術の「進歩」によって「胎児の状態・障害の有無」が入り込んできている現実
「産む選択」と「産まない選択」は等価ではない
「もっともっと女性障害者の地位向上を!」
「安心」できる子じゃないと産めない?
「仕事を続けても辞めても、子育てはしんどい」
ややこしいもの、めんどくさいものは、できるだけなくそう・排除しようという発想が強まっている
彼らの考える「個人主義」というのは、「利己主義」のことだったんですね
社会保障こそが、いちばんかんたんに削れるところ。そう考えているのが見え見えです
市場経済(職場)の論理に合わせて働こうとすると、からだや心をこわしてしまう
●エッセイ・大橋由香子 男の子育児はつらいよ
──ベツジン28号だったムスコ
症例別つきあいにくい人々
忘れられない衝突
筋肉にあこがれるころ
●第4章──2004.9〜2005.5
──アジア・アフリカの女性たちと、「障害を持つ女性の権利」についてセッションをしてきました
「恋愛」とは別物としてセックスを楽しむことを、どう考えたらいいんだろう?
「おせっかい」とも言える図々しい態度や雰囲気って、障害者運動に限らず七〇年代に存在していた
「車輪の一歩」。私にとって、とてもリアルなドラマでした
それぞれの両親の対応ぶりは、私の妊娠を機に逆転。いまから思えば、おもしろいな、と思います
彼氏/彼女がいることがマル、という雰囲気に乗り切れないというか、違和感を抱いていた私
映画や小説でも、SEXの実用書でも、コンドームやピルが出てこないことが多いのはなぜでしょう
ナンシー・メアーズの言葉を借りれば、「性の問題は語られるまえに閉ざされ」ているのです
おもしろい発見や、思いもかけなかった驚きが、「女」が決して単一ではないことを教えてくれる
「人権先進国」が「イラクの人々を解放する」ためにその地の人びとを殺してしまう
いちばん辛いのは、病気や障害によって自分が誰にも必要とされなくなる、と感じることかもしれません
「あなたって、ほんとに、すみません、が多いね」と言われたことがあります
●第5章──2005.9〜2005.12
──しっくりくる住まいを形づくるにはなかなか時間がかかります
これから重ねてゆく年月は、老いと死に向かう新たな段階に踏みこむ日々になるでしょう
若かろうが、歳を取ろうが、いつでも大事なのはきっと「友だち」です
怒って、笑って、毒がいっぱいだけどすてきな女たちを目の当たりにして、元気になった
産むこと、産まないこと、産めないこと、どれもがそれぞれの味わいをもっている
●あとがき──青海恵子